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ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (ブルゴーニュ女伯) : ミニ英和和英辞書
ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (ブルゴーニュ女伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (ブルゴーニュ女伯) ( リダイレクト:ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯) ) : ウィキペディア日本語版
ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)[じゃんぬ2せい]

ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ(Jeanne II de Bourgogne, 1291年 - 1330年1月21日)は、フランスフィリップ5世の王妃。父はブルゴーニュ伯オトン4世、母はアルトワ女伯マティルド。妹ブランシュは夫の弟シャルル4世の王妃。
1307年、フィリップ4世の次男ポワティエ伯フィリップ(後のフィリップ5世)と結婚した。2人の間には1313年までに1男4女が生まれた。
*ジャンヌ(1308年 - 1349年) ブルゴーニュ女伯。ブルゴーニュ公ウード4世の妻。
*マルグリット(1310年 - 1382年) ブルゴーニュ女伯。フランドル伯ルイ1世の妻。
*イザベル(1312年 - 1348年) ヴィエノワ領主ギグ8世の妻。
*ブランシュ(1313年 - 1358年) 未婚のまま死去。
*フィリップ(1313年 - 1317年)
1314年、夫の妹イザベルの密告により、姦通の罪で王太子ルイ(後のルイ10世)妃マルグリット、妹ブランシュとともに捕らえられ、ジャンヌはドゥーダンへ幽閉された。ジャンヌは己の潔白を主張し続け、ジャンヌら姉妹の母マティルドの奔走も加わり、パリの法廷で彼女の無罪が宣言され、3人のうち彼女だけが許されて宮廷へ戻った。彼女だけが、夫との間に信頼関係が築かれていたためだともいえる。
幽閉による空白はあったものの、ジャンヌとフィリップにはその後1男1女が生まれたが、どちらも夭折した。
*ルイ(1316年 - 1317年)
*女子(1322年)
1302年に父オトンが死ぬと、爵位はその唯一の男子であった幼い弟ロベールが継いだ。1315年にロベールが早世すると、オトンの娘のうち最年長であったジャンヌが伯位を継承した。1329年には母の爵位も継いでブルゴーニュ女伯兼アルトワ女伯となった。
1322年に夫と死別後、ジャンヌは宮廷を出て自分の領地で暮らした。1330年にロワ=アン=アルトワで亡くなり、遺体はサン=ドニ大聖堂の夫の隣に葬られた。
パリの大学コレージュ・ド・ブルゴーニュはジャンヌにちなんで名付けられた。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joan II, Countess of Burgundy 」があります。




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